祖母が亡くなった
101歳だった
わりと大柄だった祖母
亡くなる1日前に会いにいったとき、あまりにも小さくなっていた姿を見て涙が出た
見えていたのかいなかったのかわからないが、懸命に目を開けて、見舞いに来た私たちの顔を交互に見つめた
「会いにきたよ」
「わかる?」
もう声にはならない声で「わかる」と口を動かす
手をさわったらものすごく冷たくて、叔父がさすり続けた
翌日の夜中に「亡くなった」と知らせがあり、1月17日に葬儀を行った
神職の方の祭詞の中で初めて知った祖母の歴史があった
お嫁にきて、年子で3人の子供を産んだこと
そして3人目を身ごもっていたときに、祖父は出征し戦地で亡くなった
終戦のわずか一か月前だったそうだ
祖母の結婚生活はわずか2年だった
その後は姑であった曾祖母と二人で農業をやりながら、三人の子を育てあげた
祖母は厳しい人だった
孫の私にも厳しくて、甘えさせてもらった記憶はない
でも、葬儀に参列したいとこたち、そしてその子供たちを見て
祖母がいてくれたからこそ、私たちがここに今存在しているのだと感じた
あぁもう何をしても、祖母には会えないのだなぁと実感した
神職の方が「たとえ大往生でも、残された遺族にはやはり色々な想いが残る」と仰られた
あぁその通りだと思った
たとえ101歳でも、天寿を全うしたとしても
やはり大好きだった人がいなくなってしまうというのは、辛いことなのだ
おばあちゃん、長い間本当にありがとう
もう、おじいちゃんに会えたかな?
今度は2人でいつまでも一緒にね